小松の物思いを打ち破ったのは、こつこつとドアを叩く控えめなノック音だった。
「はいっ、どうぞ!」
うつむせていた体を起して、大声で叫んだ。広い部屋だからそれぐらいしないと扉の向こうに聞こえないだろう。地声が大きいとは言わせない。
三人のうちの誰かの都合がついたのか、ぱっと顔を明るくして小松はドアの方を向いた。
(あ――)
「勉強はかどってるかい?そろそろいいかなと思って飲み物を持って来たんだけど、休憩するのはどうかな」
ココが茶器のセットを乗せたワゴンを押して部屋の中に入ってきた。
(そりゃ、まあ家だからいても当然の話で)
「ああっ、でも誰も集まらなくて――トリコさんも練習試合でリンちゃんはたぶんその応援に行ってしまって、サニーさんとは連絡も取れなかったので」
そろそろお邪魔しようと思ってたところです!と続けようとしたのだが、ワゴンに乗せられたケーキが小松の目を奪った。
「なんだい、それ。がんばってたの小松君だけじゃないか――まあ、本当に頑張ってたのか疑わしいところだけどね」
ココの顔が近付いてくる。ちょっと身を引くと手だけが伸ばされて頬に触れた。
「ノートの線がついてる。もしかして、いままで寝てた?」
くつくつとココが笑っている。
「そ!それはですね!勉強自体は終わってて、でもいろいろあのぅ」
自然に声が小さくなった。寝てはいなかったけれど、ぼんやりしていたのは事実だからだ。
「女の子なのに、顔にあとがついたらダメだろう。うつむいて寝るのは止めないとね――ほら、鼻も赤くなってる」
指がするりと平たい鼻の頭をさわる。
ぞっと背中を駆け抜ける怖気が小松の頭を覚醒させた。あの記憶は夢なのか現実なのか。こわごわ、ココの顔を盗み見ても、いつものように優しくほほ笑んでいるだけだ。
「すいません……」
「ちょうど良かったね。休憩がいる時間だったんだよ。勘が働いて、ケーキを買ってきてよかった」
ココは慣れた手つきで茶器を小松の前において、ケーキの皿を示した。数種類のケーキがホール型に並べられていて、どれもきれいでおいしそうだ。
(あの時と反対)
ひやりと背中に汗が流れる。他意はないだろうが、なんとなく空恐ろしいものを感じて小松は唇をなめた。
「どれにする?」
優しいココの声。はっと小松は悩んでいるふりをして、もう決めていたケーキを選んだ。
「誰もいないから2個選んでいいよ。――っていうか、全部食べたい顔してるけど、それはダメだからね」
「ひどいっ!」
「そんなこと言って、食べて後悔したら僕に文句を言うんだろう?女の子は細すぎるのも考えものなんだけどね」
小松の前に2種類のケーキが置かれた。ひとりで食べるのもなあと思っていたら、ココが隣に座った。
「僕もお相伴にあずかろう。なんだか有名な店のらしいんだ。確かに人が並んでて大変そうだった」
名前を聞くと、最近有名になってきたケーキ屋の名前で、小松はそれに驚いた。
「だって、そこいま開店前にならんでも1時間待ちとかあるらしいですよ?ココさんもそんなに並んだんですか?」
人ごみに長時間並ぶココの姿が想像しづらくて思わず小松はうなった。
「並ぼうとしたんだけどね、親切な人が多くて先にどうぞって言われて、お言葉に甘えてたらすぐに買えてしまったよ」
紅茶を口に運ぶココの口調によどみはない。ですよね、そうでしたよね。小松は卑屈な思いに負けて、椅子の背にかじりついた。
(そういえば、この人も超絶イケメンなんだった!きっと、並んでた人は直接口がきけてうれしいとか思ってるんだろうな今頃)
その超絶イケメンと並んでお茶を飲んでいることは考えに入っていない。トリコほどではないがココも十分もてる。いや、トリコに寄ってくる女性のパターンに偏りがある分、ココの方が支持する人数は多いかもしれない。
「ところで小松くん――ちょっとお願いがあるんだけれど」
小さなせき払いと、ためらいがちなココの声に小松ははっと我に返って椅子に座りなおした。



走り出したにょこま妄想