「いったいこれは――どういうことだい?」 壁際に詰め寄られて、小松は息をのんだ。それを聞きたいのはこちらだ。助けを求めてそばにいるはずのリンを探して目をやるが、どこにも姿が見えない。 「リンちゃんならもう帰ったよ。大丈夫、ひとりじゃない――トリコに送らせてる」 「あの、さっきも言ったんですけど」 「それは知ってるよ。リンちゃんも同じこと言ってたしね。けど、小松くん――僕はいま君に質問してるんだ。……いったいこれはどういうことかな?」 にっこりと美しい顔をゆがませてココが笑っている。質問の意図がつかめなくて、小松は短く息を吐いた。 仕事が終わって、店を出るとココとトリコがふたりの帰りを待っていたところまでは理解できる。考えていたよりも遅くなったし、心配性のココが時間の都合をつけてくれたのだろう。 「トリコから連絡が入った時は驚いたよ。あいつはただ手持ちの金がないから、僕におごってもらおうというだけだったけれど――ふん、あいつの顔も見たかい?小松くんを見たとたん、お預けをくらった犬みたいな顔で君を見ていたね。分かっていたんだろ?僕たちをそんなふうにさせて、どうするつもりだったのかな」 しかし、問題はそのあとだ。小松はいつのまにかどこか知らないコンクリートの壁に囲まれていて、ココに鋭く糾弾されているのだ。 リンに頼まれて臨時でバイトに入ったこと、トリコを呼んだのは知らなかったこと。そして、いま小松の上に起きようとしていることが、まったく理解できないことを事細かに説明したのだが、ココの怒りは解けそうにない。 ぐい、と唇を指でこすられて顔をしかめた。 「こんなことをして、いったい誰に見せるつもりだったんだい?急にきれいになって、僕がどんなに驚いたか――それにあの制服ときたら」 「……」 小松は震える唇を両手で押さえた。 「君がかがめばほとんど中は丸見えだったよ!はきなれていないせいか、うまくしゃがむこともできていなかったみたいだから余計にね」 「――ココさん?」 かっと体が熱くなった。仕事中のそぶりまで観察されていたとは思いもかけなかったのだ。カトラリーを落としてしまうことは良くあった。しかし、スカートの中まで気にかけていなかったので、せめてきれいな下着をつけていてよかったと小松はほっと胸をなでおろした。 「それに……なんだい?この匂いは――ずいぶんと甘いね。いままで君がまとっていたのはお菓子の甘いかおりだけだったけど。これはまた」 肩の上にココの両手が乗って、小松はさらに壁に押し付けられた。 「あ、あの、お店で試供品でもらって……ちょっとだけつけてみたん――」 すん、とココの形のよい鼻が近付いてきて小松の首筋をくすぐった。体をすくめるが、それが止まる気配がない。 「――ずいぶんと男を誘う匂いだな」 まるで小松の話を聞かない態度でココはつぶやいた。鋭い目が小松を見下ろしている。 「なんで、なんで怒ってるんですか!――ボク、トリコさんが来ることもましてやココさんが来ることも知らなかったのに、それに自分が今日、この店に入ることも知らなかったのに」 冷たく、静かな絶望が小松の胸をふさいでいく。ココにこんな目で見られたことはいままでなかったからだ。不可解な詰問よりもなお、その目がただ恐ろしかった。 「ボク、男を誘ってなんかいません……だから、もうそんな目で見ないでください――お願い、ココさん。お願い」 じわじわと涙がほほを濡らしていく。たぶん、ファンデーションやほお紅がどろどろになっているだろう。けど、いまはそんなこと気にする余裕もなかった。 しゃくりあげながら懇願していると、ふっとココの厳しい顔が揺らいだのが分かる。 「なにを、お願いするんだい?――君は何もしていないんだろう。僕が理不尽に腹を立てて、怒っているだけじゃないか」 涙を手の甲で拭きとって、小松はココの胸に取りすがった。すると、ぎくりとココが震えたのが伝わってきた。たとえ怒鳴られても、冷たくただ見つめられているよりよほどましだ。 「ボクのこと、見捨てないで――男を誘ったりしてないし……お願い、ココさんお願いだから」 ぐっと厚い胸に引き寄せられた。二人の距離はもうお互いの体しかない。 (――あ) ココの唇がふいに小松に近づいて来た。ぐっと髪の毛を掴まれて上を向かされる。髪留めがはじけて地面に落ちた音が、大げさなほど響いて、小松はココの冷たい唇を優しく受け止めた。 |