ゆるやかにいま堕ちてゆく(ココ)

肌をさす冷たい空気の刺激で目を覚ました。
まだ朝は遠い。ため息をついてシーツを手繰り寄せると、隣に眠る小さな体がぶるりと震えた。どちらもなにも身に着けておらぬ、つい先ほどまで生まれたままの姿で抱きあっていたのだ。シャワーも浴びず、ただ本能のままにボクは猛り狂った。
(――小松くん)
いとしい、たった一人の料理人の名を呼んだ。起こさぬようにそっとだ。
君がトリコとのハントの前日に僕を訪ねてくるようになったのは、いつのころだろう。もうあまり覚えてはいない。
最初のほうは僕もまだ初心で、君の言うことをほとんど聞いていなかったし、たちの悪いいたずらを思いつくものだなあと呆れていた。大体僕に興味を持つものは、見当はずれな夢を自分勝手に投影していたり、これを僕が言うと嫌みになるとサニーなどには注意されるのだが、やたらと女性に受けのいい整った顔立ちに理想を求めて近づいてくるものがほとんどだったからだ。
そんな僕にしびれを切らした君は、実に巧妙に立ちまわった。
性的なものなどなにひとつ匂わせず、僕の懐にやすやすと入り込み友情の――とその時僕は思っていた――スキンシップを頻繁にとり始めたのだ。コンビであるトリコもスキンシップは激しいほうだし、鷹揚で多少行きすぎたことをしても気にするタイプではない。
体質のこともあって、世間知らずだった僕は君やトリコの積極性にうっかり慣らされてしまったのだ。
そして、あの日――君はついに酒に酔ったふりをして、口づけをせがんできた。その時は僕も陽気な気分だったし、君のそういう手管に心を許し始めていたから、まあなんだ。それくらいは、という安易な気持ちで軽く――キッスの羽根よりも軽く君に口づけた。
だから、たぶん本当の始まりはそれからだ。
やすらかな寝息を立てる君の背中からそっと近づいて肩口に頬を寄せた。僕の本当の安らぎはここにある。
少し冷たくなった肩をシーツでくるんで頬をすりよせた。小さくて、僕よりも体温の高い君の体に触れていると、なんだか不思議な気分になる。
(小松くん)
君が僕に罪悪感を覚えていることを知っているよ。電磁波を見るまでもない。
だって、僕たちはあの日を境に数え切れないほどの口づけを交わしたし、それ以上のこともやってきた。そんな僕たちがお互いの気持ちにうすうすでも気がつかないはずはないんだ。ましてや僕は占い師、人の隠しおおせている部分を暴くのが仕事だからね。
なんとなくたまらなくなって、僕は君の短い髪の毛の中に手を差し入れた。ゆっくり頭をなでると、張りのある髪の毛が僕の手をちくちくと刺激する。
(――好きだ)
僕はこれまであまり大切なもの、というのを作らぬように生きてきた。もちろんトリコたちは違う、彼らは僕の家族であり、ルーツの一部でもあるからだ。
人々は行き過ぎる流れのように僕の周りを取り囲んで、やがて消えてゆく。それは例えばIGOの職員だったり、狂気に満ちた研究者や――新しいものだったら僕の上っ面に目を奪われた一部の客だったりした。若いころはただ巻き込まれ流され、自分の運命を呪うことしかできなかった僕が見つけた生き方。
孤独に耐え、人々と一貫して距離を取って――交わらずに生きていく。そうすれば誰も僕を傷つけることはできないし、僕もまた僕のこの呪われた体質で人を傷つけることはない。
いままではそれで十分だった。思いもかけずエンペラークロウの雛を保護することはあっても、それは人ではなかったし、キッスは成長して十分に僕の手足になってくれた。それだけは望外の喜びと言うよりほかにはない。
傷つかぬように――傷つけぬように、慎重に選びぬいて生きてきた僕の目の前に現れた、君の品のない叫び声をいまでも思い出すことができる。
ああ、でも正直に言おう。僕は最初から君に惹かれていた。冷たく突き放す言い方はしたけれども、その凶悪なまでの図々しさに。
そうでなければ、いくらトリコの頼みでも慣れぬ一般人をあんなところに導いたりはしなかった。死相を感じた時も、いつもならばそれも運命だと厭世的に考えたりするのに、僕はどうしても君のことを助けたかった。結局、君は自分自信の強さでそれを乗り越えてしまったが、一番ほっとしたのはトリコでも君でもなく僕だ。
だから、僕は君が僕を欲しがってくれた時は、本当に驚きもし、またやはり簡単に信じて受け入れられなかったのは許して欲しい。いまだにどこか、信じきれない部分があるのは、これは僕の弱さに他ならない。だから、僕は君に冷たい態度を取ったりもするし、ぶっきらぼうな言い方もする。本当は、君が訪ねてくれる日をいまかいまかと心待ちにしているのは、いまとなっては言いだすこともできないけれど。
君に愛されはじめてから、僕の人生がどれほど変わったか君に教えてあげられることができればいいのにね。君との関係が始まってからはこの崖の上の小さな家もただ孤独を囲う場ではなくなった。秘密に満ちた、二人だけの甘い思い出がこびりついたこの場所で、僕がどんなにか幸せな毎日を過ごしているか、君にはわかるまい。
(――小松くん、僕は)
いつもそうするように眠ったままの君の頭に触れるだけの口づけを落とす。固い髪の毛の感触を覚えておこう。いつか失ってしまっても、もうそれは仕方のないことなのだと思えるように。
許されるのならば――ゆるやかに、いまも君に向かって堕ち続けてゆく僕の魂を、どうか君のそばで留めてもらいたい。それだけが、僕の切実な願いだ。





ゆっくりと、速度さえも感じずに