その鮮やかな笑顔の裏で

ハントの前日は、必ずと言っていいほどボクは『彼』の家に泊まりに行く。仕事がどんなに遅くなっても、翌朝のハントがどれだけ早くても、ボクの中ではもうほとんど儀式めいた決まりになっている。
グルメフォーチューンの駅からどういったら一番早く街を出られるのかも、最終の列車の時間もすっかり把握してしまった。エンペラークロウのキッスも、僕の顔を覚えてしまったのでわざわざなにか目印のようなものを持っていかなくてもボクをあの家に運んでいく。
彼は僕を拒んだことはない。理由を考えたこともあるが、本人がそれを言わないのだから他人がうだうだ思い煩ってもよいことはないと、ある時期を境にボクは割り切ることにした。
「明日も、ハントかい?」
崖の上に降り立って、待つ人の元へ駆け寄ると、明るい家を背にして毎度おなじみの質問をしてくる。本当に毎回だ。
「はい、明日は駅で落ち合う約束になっているので、いつもより出る時間はゆっくりできますけど」
「トリコも知ってるの?」
「もちろんです、僕たちコンビですから」
そういうと、彼は長いため息をついて部屋の中に入り、ボクのために玄関を開けてくれる。ためらったのは最初だけだ。
あたりまえのように部屋に入って、すぐに寝室へ荷物を置きに行く。むっとした顔をして、けれど黙っているのもボクは知っている。嫌なら嫌と言えばいいんだ。そうすればいくら厚顔無恥なボクだって、ちょっとは堪えるだろう。
「食事は済ませてきたので、あとでシャワーを使わせてもらえればうれしいんですけど」
「……ご自由にどうぞ、もう場所も使い方も全部分かっているだろ」
ぶっきらぼうな返事が帰ってきて、僕はほっとした。さすがにやりすぎているのは自分でも分かっているのだ。意地になっているのかもしれない。
「ココさん」
それでもそう言うと彼は振り返ってボクを見る。高い場所にある彼の顔は青ざめていて、それが彼の美しい顔をいっそう作りものの彫刻めいて見せた。この顔を知っているのはボクくらいのものだ。
彼はとてもポーカーフェイスが得意で、口が上手だ。
占い師と言う職業柄もあるのだろうが、いつもアルカイックに取り澄ました顔でほほ笑んでいることが多い。女性客はそこがミステリアスなのだと騒いでいるが、ボクにすればそれは彼のことをまったく分かっていないと言っているのと同じだ。
彼が自分に課している冷徹、人嫌い――という仮面をはがしてしまえば、マグマのように熱い情熱を秘めた、年相応の青年の姿がそこにあるのだ。そして、彼はこうやってもの言わず怒り、血の温度をあげるけれど、まるで太陽が高温になるほど白くなるみたいに顔は青ざめていき、饒舌な口が静かになっていく。そんな彼をボクはとてもきれいだと思う。
「ココさん」
ボクはもう一度彼の名前を呼んだ。
ぐるり、と大きな目がボクを見る。そこに浮かぶ僕自身のちっぽけな姿にちょっと泣きそうになりながら、けれどボクはどんなにその瞬間を待ち焦がれただろう。彼の眼に映りながら、決して他の世の常の人のように見られない、この刹那をどれだけ待ち望んで日々を過ごしているか想像もつかないに違いない。
ボクを、料理人として、トリコさんのコンビとして、そして――
「どうして、きみはいつも」
ゆっくりと懺悔するように彼はボクの前にひざまずいた。そうするとやっとボクと目線が合うくらい、僕たちの体つきは違っている。
「そんな目で、ボクを見るんだ」
熱い目。情熱を秘めた、黒いまなざしはどこまでもボクの体を焼いてゆく。苦しみも悲しみもないまぜになった感情がボクの目に涙をあふれさせ、濁流になって頬を流れ落ちた。
「小松くん――」
そうして、彼は祈るように目をつぶりボクを優しく引き寄せて唇を奪った。
(ああ――)
好きだ、などという生易しいものではないぎらぎらしていて、醜いものがボクの中に淀んでいくのが分かる。もっと、もっととボクの中の恐ろしいものが叫んでいるのだ。彼の鮮やかにも見える人当たりのいい笑顔の裏でうごめく、人を寄せ付けない何かに魅入られてしまったボクには、こんな優しい触れ合いは拷問と同じだ。
「ココさん、もっと……」
舌を絡ませ合いながらボクが彼の名を呼ぶと、僕の体はなんなく持ち上がってさっき荷物を置いた寝室へと向かっていく。
(ああ、では今日も)
ハントの前日に来るのは、逃げ場をなくすためだ。いつ死んでもかまわないという覚悟を持って挑んでいると彼は知っているから、だからボクを拒めない。
死相は見えないにしろ、運命なんか分からない。明日死んでしまうかもしれない人間の最後の願いを拒絶できないという口実をボクは彼のために作っているのかもしれない。
うっとりと胸を高鳴らせてボクは彼の首に手をまわした。唇は重なったままだ。
荒々しい雄のにおい。彼の体が発する、濃厚な野生のにおい。
くらくらするような歓喜にボクはどうしようもなくなって、さらに彼の唇をむさぼった。彼はそれにこたえるようにボクの体を強くかき抱いた。
彼はやがてボクという獲物にとびかかり、その楔をボクに打ち込むだろう。
寝室の扉は閉じ、夜を徹して行われる死と再生の儀式はいまようやくボクの上にゆっくりとその姿を見せて笑っている。





ひとりお題楽しいシーズン