「うわっ」
僕の物思いをさえぎるように、火にかけていたフライパンが火を噴いた。慌てて中身をかき混ぜて、火をおさめる。くだらないことを考えるのはもうやめにして、手を動かさないと日が暮れてしまう。
なにか、大切なことから目をそむけた気がしたが僕はそれを無理に飲み込んで、料理に集中しようとした。
赤々と燃える、コンロの火。きちんと整列されたお玉の群れに、塔のように高く積みあがった鍋の種類。
さすが美食屋というべきか、それとも当然というべきか。ホテルグルメの厨房に勝るとも劣らぬ、キッチンの設備。
(よし、やるぞ)
肉と野菜の簡単な煮込みから始まって、サーロインキノコのあぶり焼き、バナナきゅうりとベーコンの葉を使ったサラダに生姜豚のステーキ。ご飯ものは百合牡蠣のチャーハン、漆黒米を使ったおこわ。そのほか、目に付いた食材をわがままに、特盛り目いっぱい使って僕は力尽きた。
あとは二人が返ってきたあと、冷めたものを温めなおしたりちょっと味を整えたりするだけでいいように全てを準備して、僕はほっと息を漏らした。
(自分のご飯食べるの忘れてた)
くるくるとおなかが頼りなく鳴る。新しく作るかを思案して、結局作った料理から少しづつ皿に盛って、リビングへ戻った。

窓の外はもう少し陰りが見えている。夕方になるにはまだまだあるが、料理していると時間が矢のように過ぎ、キッチンへ入ったのは朝でも気がつくと夜になっているなどざらだ。
普段は大勢があわただしく行き交うなかで、ひどい時は立ったまま賄いをかき込むようにして済ませることもある生活をしていると、静かなリビングでゆっくりと食べることができるのは、ただそれだけでも贅沢なことなのだなあ、と不思議な感慨が湧いてくる。
おいしくできているはずなのに、ぼそぼそとなんとなく味気ないご飯を口に運びながら、しかし作った者の責任としてなにか間違ったことはないか見分しながら食べ終わると、すっかり腹はくちくなった。
食後のお茶を入れて、ようやく落ち着いてほっとできるなあと時計をみるともう夕方になっている。ハントはまだ終わらない――と思うとやはり、今日はおいて行かれてよかったのだ。と自分の体調を鑑みてココさんの慧眼に頭が下がった。
(大体ココさんは――)
さっぱりしたハーブティをすすりながら、考えまいとすればするほど、どうしてもそれについてばかり考えてしまうやっかいな事態に陥りながら、僕は観念して目を閉じた。心もとなくなって、いいにおいのする毛布を手繰り寄せる。
(仕事を休みすぎとか、そういうことを僕に注意してくれるし)
トリコをはじめとした他の四天王と違って、ココさんは非常に仕事に関しては厳しいことがある。それは彼もまた占い師という、食にかかわらない全く別の顔をもっているからかもしれないけれど。
たとえばトリコさんなどは思い立ったが吉日で、よい話があるときには仕事中など構わずに僕を誘いに来る。
トリコさんにとって言い方は悪いかもしれないが、美食のためなら料理長の立場や責任などは風の前の塵と同じくらいの価値しか持たない。それはライブべアラーとの戦いで、自分の過去をすらあっさり手放そうとしたことからもわかる。
逆に、僕のような縛られているつもりはないが、勝手に責任とか使命を立場に見出してしまう者は、トリコさんみたいな人ががコンビでないとだめなのだ。僕の都合を気にしてくれる人とは、いつまでたってもハントひとつ行けないだろう。ぐいぐいと新世界への道を開いて行く力強さと、強引さは僕にはない。
しかしまた、僕はトリコさんとは違う(言い訳がましいとは思うが)普通の男だから、立っていられる場所を完全になくしてしまっては生きてゆくことも難しいだろう。
要所要所で、舞い上がって己の立場を見失ってしまいがちな僕に丁寧にくぎを刺してくれるのがココさんだとしたら――
ぼっと、胸の奥になにかが舞い降りた。
(ココさんはいつもひとり)
この静かな食卓で――キッスはこの部屋にはさすがにはいれないだろうから――生きるためにご飯を食べ、占いの予定がある時はグルメフォーチューンに出かけて、そうでないときはハントに行くかそれとも毒の研究に没頭しているのだろうか。
かちこちと鳴る秒針に合わせて、僕の心臓もかちこちと脈を打つ。
(こんな辺鄙なところで、ひとり誰とも触れ合うことなしに、これから先も――)
僕はわっと、泣き出したい気持ちになった。もちろん、一人がさびしいなんていうのは僕の勝手なエゴで、ココさんをかわいそうに思う資格などない。けれど人嫌いだ、とうそぶいている割には本質的にココさんはとても人間が好きな人なのだと思う。そうでないなら、わざわざ人の厄介事を覗き見て、仲裁したりうまく行くように骨を折る占い師の仕事など選ばないだろう。
(――優しい人だから)
自分に毛布を巻きつけて僕は涙がほんとうに出てくるのをじっと我慢した。未だ残るハーブの香りでじくじくと痛む心をなだめる。
泣くなんて卑怯な話だ。僕ならば、忙しくて大変な料理長の仕事を任されて大変ですね、なんて同情されたら驚いてしまうだろう。好きでやっているのだ、勝手なことを言うなと文句の一つも出るに違いない。
(だから、だからこそ――)
雷が胸を貫いたような衝撃を受けて、僕はとうとうこぼれ落ちる涙を止めることができなくなった。
そうだ。僕は自分が好きでこの仕事を選び懸命に頑張ってきた。それはほんとうに幸運なことなのだ。狭い世界で足の引っ張り合いなどざらにある。才能のあるものがひしめき合っているのだからそれは仕方のないことなのだが、最高のコンビを得て、これからさらに高みへ上ることを疑いもしていない僕の、ふらふらとした態度はどれだけココさんを心配させたのだろう。
毒のある言葉だなあと僕は笑っていたけれど、この世界のどこに、これだけ僕の仕事や願いを真摯に受け止めてくれた人がいるだろうか。
(ココさん――ココさん――!)
深い悲しみともいらだちともとれるなにかが、僕の胸を激しく突き上げた。もう涙だけではなくて全身で泣きながら、僕はまるでそれがこの世界に残されたただ一つの救いみたいに大きな毛布にすがりついた。
















あの崖の上の家がほんとうに好きでねえ。という気持ちで書きました。