ココマの一番長い夜 小さな寝室の中の空気は張りつめたままだ。 僕は震える唇をかみしめて、息をのんだ。これは緊張か、それとも恐怖か。隣に座る人は黙って僕の手を触っている。 「コッ……ココさん」 「そんなに怖がらないでも、襲いかかったりしないのに」 ぼつりとこぼれ落ちた言葉が、彼の誠実さを物語っていた。 そう、僕はココさんの家にいる。そして、僕とココさんは生まれたままの姿になって、ベッドに横並びになって座っているのだ。 どうしてそうなった、とは聞かないで欲しい。僕たちはお互いの心を確認し合って、今まさに結ばれようとしているのだから。 トリコさんを介して知り合った僕たちは、ゆっくり時間をかけて理解し合い、やがて友達以上のものを求めあうようになった。それがいつからなのか、というのはもう定かではない。 ココさんが最初から僕をなんとなく気にかけてくれていることは分かっていた。冷静で何事にも動じないように見えるけれど、案外分かりやすいところがある人なのだ。 そして、こんなにきれいで頭が良い人に気にかけてもらって、悪い気がするものはいないだろう。 僕もそのうちの一人で、持ち前の図々しさも相まって、心を許し、距離を失い、いま裸でベッドの上に座っている。 僕はココさんが好きだ。それは間違いない。 いくら食材のことしか考えていないように見えると称される僕でも、なんの覚悟もないままにこんな行動には出ない。 好きだ――と言われて、手を握ってキスをして、それ以上のことを求めたから、ここにいるのだ。 (――ただ) さざ波のような震えが止まらない。 突然の寒さの中にほおり込まれた人のように、歯の根があわない僕の姿を見てココさんは悲しそうに笑うだけだ。 よく見ると、ココさんが脱いでいるのは上着だけで、下はきちんとはいている。なんとなく、それはひどく悲しくて僕はちょっと泣きそうになった。 「君が僕を受け入れてくれようとしただけで満足だよ。――それ以上に望むのは、罰当たりかな」 やさしく、ココさんは本当に優しく僕の手をなでた。 「そろそろ、服を着て寝た方がいいね。小松くん、ありがとう。僕は、君が好きだよ」 「……」 「――小松くん?」 ココさんが困った顔をして僕を見ている。それはそうだろう。僕はやっとで動く手でまだ僕の中に残っているココさんの手を握り締めた。 震えて声も出ないくせに、離れるのはやっぱり嫌な僕の我がままだ。子供がするみたいにいやいやと首を振ってココさんの手を引く僕の姿は滑稽だろう。 「無理強いするのはいやなんだ。ほら、君だってこんなに震えているじゃないか」 「い……や、です」 引き絞るようにやっと声をあげた。こみ上げる涙が目からこぼれ落ちる。 「じゃあ、もうしばらくこのままでいようか」 いくぶん落ち着かない声でココさんは言い、反対側の手で僕の背中をなでた。ココさんが触れるたびに、びくりと反応する僕の体。それに気がついて、離れていくココさんの手。 違うんです、そうじゃなくて。 どうしていつものようにふるまえないのだろう。自分はもっと図々しくて、こんなところで震えているだけの人間ではないと思っていたのに。 残った勇気をかき集めて僕は震える体を動かした。 「小松、くん?」 隣に座るココさんの膝の上に自分の体を乗せたのだ。じっと動かずにいたためにぎぎぎときしむ関節をねじって、ゆっくりと両手をぎこちなく伸ばした。 (触るのが怖いんじゃない。ましてやさわられるのが、嬉しくないはずない) ココさんのどこかおびえた顔。無理やりほほ笑んで、僕は覚悟を決めて息を吐いた。 「君は、なにを――」 制止の声が僕には聞こえなかった。ココさんのしたばきに手をかけて一気に下げる。ひゅっと息をのむ声。僕じゃない。 そこには僕と同じで、けれどやっぱりずいぶん違う、ココさんの立派なものが立ちあがっていた。僕はそれに力を得て、もう一度ココさんの顔を見上げた。 困惑に満ちた、美しい顔が僕をどうやって扱えばいいか迷うように、見下ろしている。 (そうやって、見てくれているだけで――いまは) そっと手を添えて、口に含んだ。今度はココさんの方が大きく体を動かした。肩に手がかかって、引きはがそうとするように力がこもる。 僕は全身の力でそれにあらがった。懇願するように、ココさんを見上げてその黒い瞳を睨みつけた。 「小松くん、どうして――」 それに答えるすべはない。僕は口を大きく開けて、ココさんのものをさらに受け入れた。くぐもったうなり声がココさんの喉から漏れる。 どこか浮き立った気持ちでそれを聞きながら、僕は舌を動かした。同じ男性だから分かる、感じる場所を探るためにココさんの表情をちらりと盗み見る。 ココさんは苦しんでいるように見えた。 片手で口を覆って、叫ぶのを我慢しているような顔だ。白磁の頬には血の色が映え、月明かりがそれを照らし出している。 (ココさん――) 見上げるたびにココさんの目が僕をまともに射た。時折、体全体でびくっと震えるのが伝わってくるので、僕はさらにきわどく舌を動かした。 「それ以上は――ちょっと、小松くん……離し」 ココさんが僕の体を強く押したが、それはかなわなかった。あまりにも深く受け入れていたために、突然訪れたその瞬間に間に合わず、こらえきれなかった僕は生理的な反射でえずいた。口から胸のあたりにかけて広がる、ココさんの出したモノ。 粘土が高く、ぽたりぽたりと僕の体をつたい落ちてゆく。 ごほごほとしばらく咳き込んで、大きく息をついた。 「君はいったい……」 ココさんのつぶやき。はっとなって顔をあげると、なんだか怖いような顔をしたココさんが僕を見つめている。しなやかで強い腕が伸びてきて、僕の口の周りをぬぐった。 「ごめんなさい、ココさん――僕、呑み込めませんでした」 救いを求めてココさんの胸にすがりついた。 「怒ってるわけじゃない。どうして、あんな――君はあんなに怖がっていたじゃないか。なのに、どうして」 「……」 そんなことを聞かれても困る。僕は考えなしに行動してしまうことが多々あるからだ。 僕とセックスをするといったくせに、ズボンをさえ脱いでいなかったココさんに腹がたったなんて、そんなこと。 自分が震えて受け入れられなかったことには目をふさいで、僕はココさんを睨みつけた。 戸惑いに彩られた美しい顔が、僕を見ている。 熱く、胸に突き上げる感情をこらえかねて僕は目を閉じた。 「怖かったんです……僕、ココさんを受け入れること」 「……小松くん」 涙がこぼれ落ちて、ココさんの胸の上を流れていく。 そうだ、僕はこわかった。ココさんに惹かれて、どんどん好きになって――そして最後に結ばれてしまったら、僕にはいったい何が残るというのだろう。 僕の中にあるのは、ココさんへの思いだけだ。 キスをすると心が震えた。手をつなぐと胸が弾む。 いいや、そんな特別なことをしなくてもただ、ココさんといるだけで僕は満足だった。 「だって、ココさんのことをこれ以上好きになったら僕、どうすればいいんですか?――僕の心もなにもかもあなたが持って行ってしまったら、僕」 ぐっとココさんの腕に力が入った。ちょっと苦しいけれど、幸せな気持ちの方が強い。僕が恐れたのは、こういうことだ。 行為が怖かったんじゃあない。ただ、ココさんに溺れるのが怖かっただけ。 「ココさんのこともっともっと好きになって、体もこころも全部ココさんのものになって――そうしたら、僕にはいったい何が残るっていうんですか……あなたが好きだから、その愛情に溺れるのが怖いんです」 「そんな、こと」 ココさんがこわばっているのが分かった。僕は秘密を打ち明けた安堵からか、ようやく体の震えが止まっていることに気がついた。 「もう、毒だからとかそういうことを言うのはやめてくださいね。そんなことは良くわかってるし、覚悟もあったんです。でも、こんなことを怖がるとは自分でも思いもしなかったな――僕はあなたが好きですよ。今更かもしれませんが、ちゃんと言った気がしないんでいま、またいいますけど」 恐怖から解放されたせいか、口が勝手に動き出している。 「たぶん、僕の言っていることの大方が理解できないと思います。自分でも、なんかおかしいなあって――僕、ただココさんのことが好きなだけなのにね。人を好きになるのが、こんなに怖いことだったなんて」 (思いもしなかったけど) 厚い胸板に頬を擦り寄せてため息をついた。僕はココさんが好きなのだ。 僕を拘束する腕の力は弱まる気配を見せない。しかし、それが僕をいっそう喜ばせ、ますますココさんの方に心を寄せる原因になっているとは気がついてもいないだろう。 (――あ) 抱きしめられているから、ココさんの腰の上をまたぐ格好になっている。尻の間に熱くて固いものを感じて、僕はちょっと身じろぎをした。 嬉しくて、けれど同時によみがえる恐怖と。 だけどそれが僕が逃げようとしていると思われたのだろう。あっという間に僕はベッドの上に転がっていて、はりつめたココさんの黒い瞳に貫かれることになった。 「君が――溺れるのが怖いというなら」 どこか震える声。僕は息をのんで続きを待った。 「僕なんかもうとっくの昔に溺れているよ――それでも納得できないなら、君にすこしだけ薬をあげる。遅行性のものだし毒として検出されたりしないものだ。だから、もし君が僕をいらないなら――僕を殺してかまわないから」 「……ココさん」 「好きだよ、小松くん。こうやっていられるだけで夢みたいだ。ましてや一つになることができるなら、僕の人生に思い残すことなんかないだろうな。君が僕に溺れてくれるというのなら――僕が君に殺されることなんか、なんでもないよ」 愛しいもの、大切なものを見守る人がそうするように、ココさんが僕を見て目を細めた。 ぞくぞくと興奮が僕の背中を走り抜ける。 「君だけが、怖がってるって思わないで」 やさしく、そしてどこか恐ろしいものをはらむココさんの声が僕のすぐそばで聞こえ、それが長く続く夜の始まりになると理解しながら僕はゆっくりと目を閉じた。 |